教師がコミュニケーション弱者になる
『ろう教育と「ことば」の社会言語学』
中島武史さんの表題の本を読んでいます。この本は、聴覚障害者を「障害者の社会モデル」の観点から、「ろう」という社会的マイノリティとしてくくった上で、彼らと「ことば」との関係を考察しています。しかし、私の感覚では、聴覚障害者の多くは「社会モデル」として「ろう」というくくりには属していません。「ろう」というくくりに属しているのは、聴覚障害者全体のごく一部です。この点ですでに出だしのところで違和感を禁じざるをえません。中島さんご自身が述べているように、「ろう」の問題は、日本手話話者に固有の問題であり、「ろう者の文化モデル」の視点から考察する必要があると思います。日本手話話者は聴覚障害者全体の一部を占めるにすぎません。だから、多くの聴覚障害者は「ろう者の文化モデル」ではとらえられません。文化モデルの相違は、社会モデルの相違に直結すると思うので、聴覚障害者全体を「ろう」という社会モデルでくくることはできないと思うのです。
教師がコミュニケーション弱者になる
この考察は、興味を持って読みました。私が教師になったころのろう学校では想像もつかなかったことです。今のろう教育では手話の使用が当たり前になっているが、ろう学校に赴任する聴者教師は手話を知らない。そのため、授業場面において教師がコミュニケーション弱者になるというのです。そのことが聴者教員の「友達化」という現象を生じ、手話力不足とともに授業の成立を妨げ、ろう児の学力向上をはばんでいるというのです。自信をもって手話で指導できる教師がいなければ、手話による教育の効果を実践的に証明することもできません。教員養成の充実や、ろう学校への転勤の条件を見直していく必要があると思いました。