『タクシー運転手~約束は海を越えて』

大晦日に『タクシー運転手~約束は海を越えて』という映画を見ました。娯楽映画としてみても十分楽しめ、しかも感動的な映画だったのですが、思うところがあって、年明け1月2日にもう一度見ました。というのは、この映画は韓国の光州事件を題材にしているのですが、この事件についてわたし自身がよくわかっていないことに気づいてしまったからです。それで、光州事件について少し学習してからもう一度見直すことにしたのです。

光州事件という言葉がわたしの頭の中に全くなかったというわけではありません。光州事件と天安門事件は権力による民衆弾圧事件として、セットのようになって記憶されていました。けれども、天安門事件の方はニュース映像の記憶もあり比較的鮮明なのですが、光州事件の方はそういった映像としての記憶もなく、天安門事件と年代的にどのくらい離れていたのかもよくわからないという状態でした。調べてみると、天安門事件は1989年6月4日。光州事件は1980年5月18日から27日。二つの出来事には9年間の隔たりがあること、そして、天安門事件は1日の出来事なのに対し、光州事件は10日間も続いたことを知りました。

光州事件の印象がこんなに薄いのはなぜかと考えてみるに、私事ですが、1980年前後といえば、養護学校のの義務化があったりして、自分自身が仕事で悩んだり落ち込んだり、何か見つけたように思ってしゃにむになったりしていた頃なのです。たぶん自分の身の回りのことで精一杯になっていて、よその国の政治情勢のことにまで気が回っていなかったのでしょうね。あるいは、この映画の中の一場面で、東京にいる外国人記者たちが、「光州が大変なことになっているようだが、日本じゃ何も報道されていないぞ。」と言っているように、当時の日本では知ろうとしても知り得なかったのかもしれません。

光州事件のことを調べていると、その前段階として朴正煕大統領の圧政があり、金大中拉致事件、金芝河逮捕などの話が出てきました。これらの人々の名前や事件のことはかなりはっきりと覚えています。なにせ金大中拉致事件は東京で起こった事件ですからね。わたしが大学生だった頃の話です。金芝河の詩はやはり学生の頃いくつか読んだ記憶があります。だんだんと話の脈絡がついて行く感じでした。そうなんだ、韓国の人たちは第二次世界大戦が終わって日本による植民地支配から解放された後も、ずうっと民主化の戦いを続けていたんだ…と。今更ながらに…。

1979年10月26日朴正煕大統領が暗殺されます。その後しばらくは「ソウルの春」と言われる民主化ムードが漂う時期がありましたが、朴政権の崩壊は事実上軍部内部の権力の交代であったため、間もなく軍部は戒厳令を発令し、国会、政党を解散して指導体制を固めることになります。これに抗して1980年5月18日、光州で激しい抗議運動が起こります。抗議運動は学生だけでなく市民を巻き込んだ大規模なものになりますが、軍部は大量殺戮を行なってこれを鎮圧します。これが、光州事件です。

光州事件の主導者であった全斗煥は、政権についた後も、報道規制を行い、労働組合活動や学生運動を制限し、中央集権的な上からの経済成長路線を押し進めようとします。それでも、韓国内の民主化を推し進める勢力は、大統領の直接選挙、光州事件の真相解明、などを要求し続けます。労働運動も活発になったうえに学生が数千の単位で連帯し参加するようになったといいます。さらにそれまで積極的に参加していなかった多くの市民までもが、大規模なデモや抗議運動を繰り広げるようになり、政権を追い詰めていきます。そして、ついに事実上全斗煥政権の中央集権化を傍観していたアメリカ政府も、民衆弾圧を避けるようコメントするようになり、政権内部でも政策の見直しが生じ、直接選挙による大統領制を記した新憲法のもと選挙が行なわれ、1987年、盧泰愚大統領が選出されます。盧泰愚大統領は軍の出身ですが、その後、1992年には、金泳三を大統領とする文字どおりの文民政権が登場します。

光州事件についての学習のまとめが長くなってしまいましたが、韓国の人々は何でここまでできるのか…と思わずにはおれません。『タクシー運転手』の映画のなかの登場人物にもそういうところがあります。普通のお父さん、お母さん、学生さんである彼ら彼女らの行動は、事実であり受けを狙った演出ではないと思えてきます。決して無関心にならず、他人事にせず、諦めないのです。

この映画では、市井の人々がみんなとても優しい人物として描かれています。でも時には、自分事にとらわれもします。主人公のタクシー運転手がこんな苦境に陥ったのも、そもそもの発端は、自分のために人のもうけ話をちゃっかりと横取りしてしまったことです。また、自分の乗客であり、しかも光州の事実を外の世界に伝えてくれるはずのドイツ人ジャーナリストを置き去りにして、一度は自分の生活、自分の娘のことを優先してソウルへ帰ろうとします。それを、光州の人たちは許しています。光州の人々の空気に染まってもう一人の主人公であるドイツ人ジャーナリストも許しています。彼が無事にソウルまで帰り着けるように助けようとさえします。けれども、そんな普通の優しい人たちが、「私」に閉じこもるのではなく、社会や公共に対する自分の位置や役割を自覚したときの強さがすごいです。民主主義を産み出し守り抜くにはこの強さが必要なのかもしれません。

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